2012年5月14日月曜日

America's National Parks ~アメリカの国立公園を訪ねて~ : George Washington Memorial Parkway



ワシントンDCに住む人に、G.W. Parkway(GWパークウェイ)との愛称で親しまれているGeorge Washington Memorial Parkway(ジョージ・ワシントン記念パークウェイ)が国立公園ユニットの一つだというと驚くかもしれない。なぜならこの道路は、朝夕のラッシュ時には非常に混雑する通勤道路となっているからだ。しかし、ジョージ・ワシントン記念パークウェイは、初代大統領ワシントンにゆかりのある地点を結ぶとともに、ポトマック川周辺の自然と歴史を保存することを目的とした記念パークウェイとして計画されたものである。パークウェイの南端はジョージ・ワシントンの自宅であったMount Vernon(マウント・ヴァーノン)に始まり、ワシントンの名前が付けられた首都ワシントンDCを通り抜け、ヴァージニア州のMcLean(マクリーン)に至っている。この25マイル(37.5km)のパークウェイがジョージ・ワシントン記念パークウェイと名付けられているが、国立公園ユニットとしてのジョージ・ワシントン記念パークウェイは、これにとどまらず、マクリーンの先のポトマック川の上流にあるGreat Falls(グレート・フォールズ)やポトマック川の対岸を走るClara Barton Parkway(クララ・バートン・パークウェイ)などもその範囲に含まれる。クララ・バートン・パークウェイも通勤道路となっていることから、ジョージ・ワシントン記念パークウェイは最も訪問者の多い国立公園ユニットと言えるかもしれない。
アントニオ·ナイアガラの滝
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ジョージ・ワシントン記念パークウェイ

ジョージ・ワシントン記念パークウェイは、1932年にワシントン生誕200周年を記念してマウント・ヴァーノンからリンカーン記念碑の向かいにあるメモリアル・ブリッジとの間を結ぶパークウェイとして開通した。もともとは、マウント・ヴァーノン記念ハイウェイと呼ぶ予定であった。しかし、議会は、さらに北のグレート・フォールズまでの土地を確保し、ポトマック川流域の自然、歴史を保存するとともに、市民に憩いの場を与えることとし、名称もジョージ・ワシントン記念パークウェイと名称を変更した。1950年代から60年代にかけてパークウェイは北に延長されるとともに、ポトマック川の対岸のメリーランド州にも6.8マイルのパークウェイを整備した。1989年にメリーランド州の 部分は、クララ・バートン・パークウェイと改名された。


ビーバーフォールズ、ペンシルバニア州のレストラン
クララ・バートン・パークウェイ

このパークウェイの沿道で国立公園局が管理する見所は、まずグレート・フォールズだろう。ワシントンDC付近のポトマック川からは想像もできないほど急流となっている。この場所をカヤッカーたちは下るというのであるから信じられない。メリーランド州側とヴァージニア州側の双方からアクセスができるが、ヴァージニア州側の方がきれいと言われている。ポトマック川のこのセクションは、1マイル(1.6km)で77フィート(23m)ほど下る急流となっており、昔から水運の難所となっていた。ポトマック川の水路としてのポテンシャルを認識していたワシントンは、友人とともに1784年にPatowmack Company(パトーマック会社)を立ち上げ、グレート・フォールズを含むポトマック川の難所を迂回しながら運河を建設し、オハイオ・ヴァリーとヴァージニアを結ぶ水路を確立しようとした。運河は1802年に完成し、1828年にChesapeake & Ohio Canal Company(チェサピーク&オハイオ運河会社)に買収されるまで26年間運営された。また、この辺りでは、1790年にワシントンの親友で独立戦争の際騎兵隊長として活躍した"Lighthorse Harry" Lee(軽騎兵ハリー・リー)らによって開発されたMatildaville(マチルダビル)と呼ばれた村がパトウマック運河とともに栄えた。パトウマック運河とマチルダビルの跡はヴァージニア川で見ることができる。


americsの貧困と肥満
グレート・フォールズ

その南にはジョージ・ワシントン記念パークウェイに入って比較的すぐのところに、Turkey Run Park(ターキー・ラン公園)というピクニック向けの公園がある。この公園のパークウェイをはさんで反対側にClaude Moore Colonial Farm(クロード・ムーア植民地農場)がある。この農場は、植民地時代の昔の農場を再現した場所で、当時の服装をした人が農作業に従事したり、牛、鶏、豚、ガチョウなどがいてのどかな雰囲気を醸し出している。

その先には南北戦争時代に首都ワシントンDCの周りに築かれた砦の一つFort Marcy(マーシー砦)の跡を見ることができる。ワシントンDC周辺には、砲台も含めれば、100以上の防御用砦のネットワークが築かれ、鉄壁の守りが固められた。マーシー砦は、1861年に交通の要所であるポトマック川にかかるチェイン・ブリッジを押さえるためにその対岸の丘に造られた。マーシーは、当時の北軍司令官George McClellan(ジョージ・マクレラン)将軍の参謀長で義理の父親に当たったRandolph Marcy(ランドルフ・マーシー)准将の名前を取ったものである。こうして作られた首都防衛の砦の多くは、南軍と戦火を交えることがなかった。マーシー砦も同じである。


マーシー砦跡

パークウェイをそのまま下ると途中眺めの良い展望所を通過してワシントンDCの対岸のArlington(アーリントン)に到達する。アーリントンには、ワシントンDCと同様に、いくつかの記念碑が建てられている。その中でも最も有名なのが通称硫黄島記念碑と呼ばれる記念碑だろう。正式名称はUnited States Marine Corps War Memorial(合衆国海兵隊戦争記念碑)という。1945年2月23日、太平洋戦争の大激戦地硫黄島のスリバチ山に5人の海兵隊員と1人の海軍兵士が星条旗を立てるシーンを報道写真家Joe Rosenthal(ジョー・ローゼンサル)が捉えた。この写真でローザンサルはピューリッツア賞を獲得した。この写真に大いに感化されて彫刻家Felix de Weldon(フェリックス・デ・ウェルドン)が作成したのがこの彫刻である。彫刻は、海兵隊創設179周年の1954年11月10日に献呈された。この彫刻には24時間星条旗がはためいている。その隣には、第2次世界大戦中、戦後のアメリカの支援に対する感謝の念を込めてオランダよりプレゼントされたNetherlands Carillon(オランダ・カリヨン)がそびえ立っている。遠くから見るとロボットのような形をしているが、50の鐘が組み合わせられた楽器であり、ときおり演奏されている。アーリントン墓地の入口のところには、Women In Military Service For America Memorial(アメリカ従軍女性記念碑)があり、軍に従事した女性を讃えている。


硫黄島記念碑
アメリカ従軍女性記念碑

その先を進むと、ナショナル空港、アレクサンドリアの町を通り、マリーナや野鳥が集うDyke Marsh Wildlife Preserve(ダイク沼野生生物保護区)、米西戦争時に建てられ、第2次世界大戦ではドイツ人将校の尋問が行われた砦跡を公園にしたFort Hunt Park(ハント砦公園)などを過ぎ、マウント・ヴァーノンに至る。また、ワシシントンDCのキーブリッジからマウント・ヴァーノンまで、パークウェイに並行して18.5マイル(30km)のマウント・ヴァーノン・トレールが整備されており、自転車やジョギングの人々が使用している。

ポトマック川の対岸のクララ・バートン・パークウェイからは、Chesapeake & Ohio Canal National Historical Park(チェサピーク&オハイオ運河国立歴史公園)にアクセスできるほか、アメリカの赤十字の母Clara Barton(クララ・バートン)の自宅兼事務所を保存するClara Barton National Historic Site(クララ・バートン国立史跡)やGlen Echo Park(グレン・エコー公園)が近くに位置する。グレン・エコー公園は、元々は卵撹乱機の発明で財をなしたBaltzley(ボルツリー)兄弟が開発した土地に1890年から日曜学校とサマーキャンプをあわせたようなChautauqua Assembly(シャトークワ集会)が行われた場所で、地域の文化センターの役割を果たした場所である。1903年から1968年までは遊園地が設置され、最盛期の1940年代前半には週末には3万人もの人出で賑わう場所であった。現在では、サマーキャンプ、アート教室やスペイン舞踏ダンスの教室などが開催されるほか、夏の間は1921年製のメリーゴーランドに乗ることができ、レトロな遊園地の雰囲気を味わうことができる。


グレン・エコー公園

(国立公園局のHP)
(国立公園局の地図)(PDF)



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