2012年3月12日月曜日

[R30]: プロのジャーナリズムとは何かについて考えてみる・その3

【これまでのあらすじ】 これまでのエントリを読んだ人はとばしてね!==>

 最初のエントリでは、梅田ブログ@CNETと切込隊長のキムタケ銀行因縁エントリをネタにして、ジャーナリズムにおけるアマチュアとプロの境界線は「自己満足ではなく、顧客から見たクオリティの意識」と、「一定以上のクオリティの継続的出力」だという話をした。そして、ジャーナリスティックなテクストが持つべきクオリティとは「時事性(スピード)」、「初出情報(ニュース)」、「独自視点(コメンタリ)」の3つだと述べた。

 次に前回(2回目)のエントリでは、TBもらった各ブログの書き込みなどに答えるかたちで、インターネットというメディアの登場によって、そこで綴られるアマチュアのテクストのクオリティが、既存の商業ジャーナリズムに属するプロ(であるはずの人々)のテクストをあっさり超えるようになったと書いた。

 しかも、(特に紙を媒介とする)商業ジャーナリズムには上述のクオリティで初めからインターネットに負けている部分がある。だからネットのアマチュア・ジャーナリズムの活動に「継続的出力」という部分さえシステムで担保されれば、既存の商業ジャーナリズムは本来的な意味での「ジャーナリズム」としては機能しなくなり、結果的に「大衆」という既存の顧客を無意識のうちに捨て去る可能性が高い。実際、米国では一足先に大手商業メディアでそういう状況が生まれつつあり、それに対抗するネット上の参加型ジャーナリズムの立ち上げを叫ぶ気骨あるジャーナリストも現れている。

 と、ここまで書いたところで朝帰りの徹夜ハイな切込隊長氏が乱入。それに呼応してfinalvent氏も出版業界のディープな世界に関してコメント。で、一気にお二人とも僕の亀の歩みのような話から勝手に筋立てを読み取り、ビヨーンとジャンプして一気に結論へ。ぐはぁ(笑)。だ~か~ら~、ちょっと待っててっちゅーの(笑)。

<== 【あらすじここまで】


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 さて。今回はTBいただいていたyosomiさんとこのブログのエントリを念頭に置きつつ、前回のエントリで少し説明不足だったなあと思うところを埋める作業に費やしたい。まず、「継続的出力」が担保されさえすればアマチュアもプロ並みのクオリティなんじゃ?という部分について。

 前々回のエントリでpaprikaさんに「切込ブログでは一年以上定期的にこのクオリティのエントリーがでているのではないでしょうか」というコメントをいただいていたが、あれですか、「家の外で三国人が騒いでいる。うるせー馬鹿」というのは、クオリティ・ジャーナリズム(笑)なんでしょうか。

 というのは冗談だが、正直1年なんてのはプロの条件としての「継続」のうちには入らないと僕は思う。僕の言うのは、10年、20年、言うなれば人が一生をかけて取り組む類の話である。

 僕のこれまでの経験から言うと、どんな博識な人でも独自情報のインプットをまったく受けずに(つまり過去の持ちネタだけで)書き綴れる「ジャーナリスティックなクオリティ」の文章というのは、50本が限界だ。毎日書けば2ヶ月でネタ切れするし、1週1本としても1年間がいいところだ。だからそれ以上続けようと思えば、当然ながら毎日必死で情報収集したり勉強したりしなければならない。コメントだけでさえそうだから、ましてニュースを書こうと思えばなおさらだ。つまり、文章を書くこと自体に対する報酬がもらえないことには、生きていけない。

 隊長がTB元エントリの「クオリティがどうであるか、高いか低いかと、それがプロであるかどうかは、ベクトルが違うのだろうと。それはまったく方向が違うというのではなく、相関はあるにしても、隔たりはある」と言っている意味は、そういうことだ。ジャーナリズムの本来的価値の1つである「継続的出力」を実現しようと思えば、どうしてもそれで報酬を受け取る仕組み(組織)の中に入らざるを得なかったわけだ。


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 もっと言えば、現実の商業ジャーナリズムにおいては、一生かけて一定以上の水準のクオリティの文章を書く個人など、全体の1%もいない。新聞も雑誌も(特に雑誌はそうだが)、ライターは長くて15年、せいぜい数年で使い捨て、素人同然のライターが書いて送ってくる文章を編集者が読めるものにでっちあげて(クオリティを出して)媒体名の看板の下に並べるという仕組みがあることで、どうにかこうにか「継続的出力」を担保している。つまり切込隊長の言う通り、現実にクオリティ・ジャーナリズムを体現する個人なんて、国中探しても指折り数えるほどしかいないのだ。あとはみんな基準値以下。

 それでも昔は1つ1つの記事のクオリティを比較できなかったから、読者も「そういうものか」と思って受け取ってきた。でも今は、テクストだけ見たら同レベル以上のクオリティの「ネット」というものが転がっているから、商業ジャーナリズムの実態が「基準値以下」だってことが、多くの人にばれちゃった。ようこそ「マスゴミ」の世界へ。

 とはいえ、ネット上のアマチュア・ブロガーだって、「継続的出力」が担保されないっていう点ではあまたのマスゴミのライターと同じだ。しかもクオリティだってピンキリ。既存の商業ジャーナリズムを「マスゴミ」とか笑っていられない。

 しかし、例えばここにライター1万人を擁し、その中からごくごくまれにアップされる面白い(一定基準以上のクオリティの)コラムに点数つけてピックアップし、毎日1本ずつ以上読ませてくれるというシステムがあったらどうなるか?おそらくそのシステムそのものが非常にクオリティの高い「ジャーナリズム装置」として機能しちゃうだろうね。

 そう、それがgoogleやテクノラティ、未来検索などの検索エンジンだ。どれもまだそこまで「ジャーナリズム装置」としての機能を持ってはいないが、考えてみればgoogleだってまだこの世に登場して7年しか経っていないのである。もう数年もすれば、そういう精度の高い「自動ジャーナリズム装置」としての検索エンジンが出てくるに違いない。湯川氏のブログの「参加型ジャーナリズムは技術的革新待ちの状態」というエントリは、このことを議論したものだ。


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 おお。ここまで読むと、数年後にすっごいかっちょいいスーパーgoogleが出てきて、そしたらインターネットが既存の商業マスゴミを超えた面白い記事を俺たちにバンバン読ませてくれるようになりますか?みたいな雰囲気が濃厚に漂っちゃうのだが、本当にそうだろうか?

 そうそう。プロのクオリティの条件として、1つ忘れてるのがあるよな。「独自に調べた初出情報(ニュース)」ってやつですよ。しかも、それ一発で世の中ひっくり返すような、おっきいやつ。そんなもの、出てくるのか?

 企業、政府といった「権力」は、その暗部を暴き、足をすくおうと手ぐすね引いている「ジャーナリズム」と当然ながら対峙する。そのパワーゲームに対抗するためには、「ジャーナリズム」側にも個人だけでなく組織の力があった方がよいと考えるのが自然だ。実際、新聞社や出版社は、だから本社玄関に屈強な警備員を配置し、社内一優秀な社員を法務部に集めている。

 だが、それでも最近は記事の内容で名誉毀損だの損害賠償だの訴えられて、実被害を認定されるケースが増えている。もちろん、その訴訟費用の負担や賠償責任は直接個人に降りかからないようになっている分、大手商業メディアに所属した方がリスクが少ないと言えばその通りだ。

 だが、だから何なのか?公の場に虚偽の内容を発表して迷惑をかければ、個人だろうが組織だろうが訴えられて、カネを払わなければならなくなるリスクは同じ。だから、訴訟リスク負担の差をもって「個人でニュースを書くジャーナリストなど存立し得ない」などという結論は出ない。勝Pとか戦争系以外のそういう個人ジャーナリストの名前をあまり見かけないから一般人には分からないだろうが、自力で調べたニュースを持ち込むフリーランスのジャーナリストは、日本にだってたくさんいる。

 じゃ、何でネットにはニュースがあまり出なくて、紙や電波媒体には出るのか。そりゃ、簡単な話だ。既存媒体の方がニュースの持ち主にたくさんカネを払うから。つまりニュースを買って売ることで売り上げを得る仕組みができているからだ。


 隊長の突っ込みエントリのコメント欄の22番が「インベスティゲーティブ・ジャーナリズム」つまり日本語で言う「調査報道」という言葉を出しているが、これこそがネット・ジャーナリズムの議論の核心だ。

 つまり、インターネット上のアマチュア・ジャーナリズムがどんなに進化しても、今のところ持てそうな見込みの立っていない、そして既存のマスメディアにはある唯一の機能、それは「カネと時間をかけて、隠された事実を調べて明らかにする"調査報道"が(継続的に)できるかどうか」、この1点に尽きる。それ以外はすべてネットで代替可能である(注:たまたま事件の現場に居合わせた人が1次情報をレポートするのは、「ジャーナリズムではない」と、ブログのエバンジェリストであるRebecca Bloodは述べている)。

 逆に言えば、世の中の多くの人がクソ記事のたくさん載っている新聞や雑誌を月や年単位で定期購読するのも、「たまにはこいつらも、度肝を抜くような調査報道をやって政府や企業のオエライさんどもの鼻をあかしてくれるからなぁ~」と思ってくれているからだ。…とゆーかたぶんそうじゃないかと思ったりしている(弱気)。でなきゃウェブサイトや電車の中吊り広告だけ読んでいればいいわけで。

 山本一郎氏が何をやろうとしているのか、ここまで読まれた方はもうお気づきだろう。彼はネットメディアにも調査報道(とそれによって世の中へ影響力を持つこと)が可能であることを、身をもって証明しようとしているのだ。ま、その突破者的な手法が吉と出るか凶と出るかについては、今は言及を避けておきたいと思うが。

 さて次回、たぶん最終回だが「ではネットに調査報道の機能を持たせることは可能なのか」について考えてみたい。TBいただいているNew UnderGround Commune Styleさんのエントリへのコメントもそちらでやります。では。



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