2012年4月21日土曜日

今、誰もが学ばなくてはならない:映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』から|グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~|ビジネス&キャリア|ヨミモノ|QuonNet


前回、日本、米国、韓国、中国の4カ国の中で、海外留学に関心のない高校生が最も多い国が日本であった調査結果(日本青少年研究所「高校生の生活意識と外国への関心」)を採り上げました。

そして、グローバル化の中で、若者が海外に興味を失うことは、自国を理解することからも遠ざかってしまうのではないかと記しました。現在、私たちの周辺で起こっている事態を国外/国内と簡単に隔てることはできなく、相互に複雑に関係しているのです。

しかし、一部の、しかし少なからずの(日本のみならず、世界の)若者が、海外/国内事情のみならず、そもそも「学ぶ」事自体に無関心でもあります。

上記の調査によりますと、海外留学をしたくない理由として各国において「自� �の国が暮らし易いから」が挙げられていますが、「国」というよりも自分の所属する身近な「コミュニティ」の居心地がそれなりに良い場合、なかなか外部(外国とは限りませんが)への関心を抱く事ができません。外部のみならず、その「コミュニティ」についてさえ、「なぜ(暮らし易いか等)」を問わなくなってしまうのです。

どの程度の居心地の良さが人を縛るのかは個人差があるでしょうが、たとえ、将来的に持続しない「幸せ」であっても今日一日が「ハッピー」ならば、概して何も考えずに刹那的に過ごしてしまうものなのかもしれません。

そのようなテーマを含めて、私は「なぜ大学で勉強しなければならないのか」と尋ねられる時、1985年に制作された英国映画『マイ・ビューティフル・ランドレット』の脇役 (主人公の父親)のセリフをお話することがあります。


"ここで、iは、ロールプレイヤーとして仕事を見つけることができる"

『マイ・ビューティフル・ランドレット』(原題My Beautiful Laundrette )
製作国 英国
製作年 1985年
監督 スティーブン・フリアーズ
受賞 1986年 全米映画批評家協会賞脚本賞受賞作品

あらすじ
【1980年代の南ロンドン。パキスタン系移民2世の青年オマールは、父親と2人暮らしをしている。オマールの父親はパキスタン出身の元ジャーナリストで、妻を亡くした後、酒に溺れる生活を続けている。反対にオマールの叔父はサッチャー政権の好景気に乗り、ロンドンで多角的にビジネスを展開しており、オマールは叔父が経営するガレージで働き始める。ある日の仕事帰り、オマールは白人の人種差別者集団に襲われ、車を壊されそうになるが、その中に旧友の白人青年ジョニーを見つけ、難を逃れる。叔父のナセルはやがてオマールに南ロンドンのコイン・ランドリーの経営を任せることになるが、オマールはジョニーに声をかけて、2人で古ぼけた店をお洒落なランドリー店に改装する。共同で店を経営しながら、パキスタン系移� ��2世と白人人種差別主義者の幼馴染の2人の青年は惹かれあっていく。】

移民問題、サッチャー時代の英国社会、同性愛と多角的に分析できる作品ですが、今回は英国の個人主義の観点から論じます。

パキスタン系移民2世の主人公オマールと、白人の人種差別主義者のジョニーが、お洒落なコイン・ランドリーを改装オープンする日、オマールの父親の元ジャーナリストがお店にやってきます。息子のオマールは不在であったため、父親は近所に住み、子供の頃から良く知るジョニーに語りかけます。


ラスベガスの日の出は何時ですか?

父親はジョニーに、自分は息子・オマールには「こんなところで他人の下着の洗濯などをして欲しくない」、「大学で学んで欲しいだ」と言い出します。そして、ジョニーからオマールに勉強するように説得して欲しいと頼むのです。父親はその理由を「今は、誰もが(生きるために)知識が必要なんだ」と語り、そのために「大学へ行くべきだ」というのです。

それに対し、人種差別主義グループから離れてコイン・ランドリーの経営に生き甲斐を見つけたジョニーは大学に行く、行かないは「何をやりたいか次第なんじゃないですか」と個人主義を盾にして反論します。父親は「それは、違う」と答え、「(大学に行って)この国で、誰によって何が 起こされているかを学ばなくてはいけないんだ」と主張し、話し合いは平行線を辿ります。

私は、 最初の父親の言葉にある「誰もが生きるために知識が必要である」という意見には合意します。次の「社会が誰によってどのように動かされているかを学ぶ必要がある」という点に関しては、特定の誰か(もしくは団体)によって社会が動かされていると見なすよりも、その中心人物を含めた社会システム(構造)を把握することが今日、求められていると考えています。ですから、父親の言葉を言い換えれば、誰もが生きる上に、社会(世の中)のシステム(構造)を知る必要があるということになります。

いずれにしましても、知識だけではなく、考える知性も必要なのです


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知識と知性によって取り組むべき社会問題は、常に形を変えながら存在します。今日の日本ならば、なぜ日本の学生の就職が難しいのか、なぜ日本の少子化はなぜ改善されないのか、なぜ日本では毎年3万人以上が自殺しなければならないのか、なぜ男女平等社会が成熟しないのか、なぜエネルギー政策の方向性を決定できないのか、なぜ東日本大震災からの復興が遅いのか等々。

【「自分は関係ないさ」と思ってしまうと、いつの間にか一つの社会の「駒」になっていることもあるのです。そして、人生の成功や失敗を「ラッキー」や「アンラッキー」という言葉で済ましてしまうことになります。しかし、自分自身に降りかかってくる様々な出� ��事は、単に運命ではなく、そこにはそうさせている社会のシステムが前提として存在するのです。もちろん、全ての個人の経験が社会的に帰納できるとは言いません。個々の資質や選択が大きいのは事実です。ただ、人は社会システムの影響を大きく受けて存在していることも否定できないのです。】

そのような社会問題のあらゆる「不思議=なぜ」を考える基礎を、大学で学ぶことができます(理系ならば、自然科学の「なぜ」になるのでしょう)。

社会のシステムや自然のシステムを知らなくても生きていくことはできます。また、過去の研究蓄積を知っても即、完全な「答え」には結びつきません。しかし、社会のシステムを探索する力を身につければ、揺れ動く世界(社会)の中で全体における自分自身の立ち位置を常 に掴み、主体的に生きることが可能なのです。


【もちろん、それは大学に学ばなくてもできますが、「先行研究=他人の意見」に耳を傾けることから始めなくてはならなく、少なくとも本や論文を読まなくてはなりません。必ずしも大学図書館ではなくても良いのですが、「お山の大将」にならないためにも充実した図書館が不可欠です。学説史を教わることができる水先案内人としての指導教員もいたほうが更に便利です。】

その上で、結果的に映画の主人公たちのように「他人の下着を洗う仕事」に従事するとしても、以前とは見える「世界」が異なるのです。

映画に戻せば、父親の願いは裏切られていきます。2人の若者は刹那的に個人の「幸せ」を追求し、破滅に向かっていきます。しかし、2人は個のレベルで決して「不 幸」ではないのです。運命に委ねることで、束の間の「幸せ」を得ていきます。先が見えないとして、時代に流されるとしても、少なくても2人には目の前の「幸せ」を享受します。ただ、2人の「幸せ」は持続しないし、社会を変えることもできないのです。そこでは、英国の個人主義の限界が描き出されているかのようです。

物語がそのような結果であるからこそ、社会の落伍者である元ジャーナリストの父親の言葉が印象に残ります。やはり、誰もが主体的に生きるために知識と知性を得る必要があるのです。しかし、その声が、本当に学問が必要な人々に届かないのも現実なのかもしれません。



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